Participatory communication art exhibition
パスカルの蝶たち
naO
Kimura
exhibitioN
Butterflies of Pascal
このアートプロジェクトは、森で長雨に打たれ葉脈が浮かびあがった葉を、蝶の翅に見立てたことから始まりました。私の中で蝶となった葉が、今度は多くの参加者の手に渡り、各々の自由な見立てによりユニークな蝶となって全国各地からKの家へ集まりました。
「見立てる愉しみ」は私たち日本人の誰もが持っている感性です。またそれは物事の繋がりを新たに発見する行為でもあります。
ひとつの枯れ葉が人の思考や想いにより多様な存在へと変化し、新たなつながりを生み出す。そこには人を葦に見立てながら、人が人としてある意味を探究したパスカルの思想が垣間見えるような気がします。
この蝶たちは様々な作家の想いをのせ、Kの家を起点として、1年をかけて各地へと旅を続けて行きます。あなたはこの蝶たちに、どのような想いや繋がりを見出すでしょうか? 木村 奈央
それがすべての始まりだった。 」
「 雨上がりの森で落ち葉を拾った、、、
すべてはひとつであり、すべては多様である。
Blaise Pascal
Butterflies of Pascal
確かに存在している夢の物語
今回、様々な見立てから生まれた個性的な蝶たちをインスタレーションするにあたり、パスカルが人を葦に見立てたように、私はケルプを人に見立てました。
海に育つケルプは、森の木々のようにユラユラと群生しています。またその数十メートルまでに成長する細長い茎を直立させるために「浮き」の役割を果たす空洞の膨らみをもっているのが特徴です。
私はケルプを初めて見たとき、直感的に人のような印象を受けました。何故そう感じたのか、その時は判然としませんでしたが、時が経つにつれ、ケルプの空洞に支えられて自立する佇まいが、まるで人の有り様のように感じられたのだということに気づきました。ケルプのもつ空洞が、人にとっての夢を見たり思考する場所のように思えたのです。
‘’ 人は一茎のケルプにすぎない。だがそれは夢見るケルプである ‘’
どれだけの大波がそれを深く押しつぶそうとも、その夢や創造力が尽きない限り、また浮かび上がることができる。
そんなイメージに導かれるままに、ケルプの膨らみに群れるような空想のアサギマダラという不思議な空間構成が産まれました。
もしケルプの空洞に夢や空想が詰まっているとしたら、一体どのような夢をみているのでしょうか。もしかすると、そこには頭上を軽やかに越えて飛んでいく、翅のある生き物への想いがつまっているかもしれません。
多くの人の想像力によって生まれた数々の幻のような蝶たち。
この架空の蝶たちは、まさに今回の企画に参加した様々なアーティストの想像力そのものです。ひとりひとりの多様な想いが出会う時、その蝶たちの語るひとつひとつの物語に耳を傾けてみて下さい。
確かにそこに存在している夢の物語が聞こえてきます。